じじいのへそくり
father’s secret savings
じじいが死んだ。九十まで生きた、俺の父親だ。
子どもたちからは「じーじ」と呼ばれていたが、そんな可愛げのある男ではなかった。俺はずっと「じじい」と呼んでいた。
じじいはとにかく、ケチな男だった。へそくりを貯め込むタイプで、口数は少なく、頑固で扱いにくい。
俺の母親、つまりじじいの女房の葬式も、松竹梅からランクを選べば、すべてを一番下の「梅」で済ませる、そんな男だった。
俺はそんなじじいが、ひどく人情味のない、つまらない人間に思えた。何が楽しくて生きているのか。金をケチる人生がそんなに楽しいか。
葬式が終わってから、ひとり暮らしをしていたじじいの安アパートの部屋を息子とふたりで片づけた。
たいして物はなかったから、業者を入れて一日ですべて済んだ。
「父さん、これ、ちょっと見て」
「ん?」
「通帳、ここにあったのか」
死んだじじいの預金通帳。しかしそこには、わずかな額しか残っていなかった。
「思ったより少ないね…」
おかしい。じじいは金を貯め込んでいたはずだ。何に使ったのか。
部屋には、これといって贅沢をした形跡はなかった。
たいした趣味もなければ、ギャンブルもしない。食い道楽もなく、酒も飲まない。もしかして、どこかに女でもいたのか。その女に騙されて金をむしり取られたのか。
「まさか…」
「俺も、まさかとは思うがな…」
「お邪魔いたします」
見知らぬ女が俺の家を訪ねてきたのは、初七日が済んだ翌日だった。相続のことで、と切り出した女を、俺は警戒した。
やはり女がいたのだ。じじいはきっと、この女に騙されたのだ。
「そういうのは、弁護士を立ててやりませんか」
俺は怒りを抑えて、冷静に言った。すると女は言った。
「私が、その弁護士ですが」
「へ?」
その女は、じじいから相続の相談を受けていたのだという。
「ご病気になられてから、何度もご相談にいらっしゃいましてね」
そして、数冊の預金通帳と、一枚の紙切れを座卓にのせた。
その紙には「相続財産目録」と書かれていた。
「こちらから、預貯金、不動産、株式、投資信託……」
項目ごとに金額が並んでいる。
「こ、これは…」
「あなたのお父様が、あなたのために残された財産です。お父様はね、おっしゃっていました。自分は親を見送ったときに、何も残してもらえなかった。そのことで苦労をした。だから、自分の子どもや孫にはしっかりと残してやりたいんだ、って」
そうだったのか…。
じじいがケチだったのは、俺たちのためだったのか…。
「ずっと、あなたのことを心配していましたよ。ご説明しますと、まず預貯金は銀行四行、普通と定期とあわせてこちらの金額が残高として残っています。ドルは今の為替ですとこのくらい。不動産は、以前に住まわれていたご自宅の土地と建物がまだ…」
素直にそう言ってくれればいいのに、こんな誤解をさせたまま逝くなんて。でも、あのじじいらしい。
俺も、自分の順番がきたとき、子どもや孫に何を残してやれるだろう。そのときのために、今から準備をしておくか。
そんなことを考えながら、俺は弁護士の先生の説明に耳を傾けた。
放送日:2020年6月16日
出演:荒井和真 佐藤みき 樋口雅夫
脚本:藤田雅史 演出:石附弘子
制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす