ラストステージ
The last stage
「『私は永遠に生きることなんてできないわ。でも、私は貴方と一緒に、今という名の永遠を生き続けたいの!』……こんな感じでどう? もっと張った方がいい?」
「いや、いいんじゃないかな」
「今度のホール、けっこう広いじゃない。だから」
「確かに、客を引きつける意味でも、もう少し張り気味の方がいいかもしれないな」
「『私はっ!』…やりすぎ?」
「下手くそ」
彼女は目立つことが好きな女だった。
俺も彼女も、役者をやっている。万年赤字の地方の小さな劇団だ。
この春、地元のホールで大きな公演を打つことが決まった。新聞社が後援して宣伝もしてくれる、最近では珍しい、ちゃんとしたステージだ。
それは彼女にとって最後の公演になるはずだった。
還暦を過ぎた彼女は体調がいまひとつで、もう主役を張るのは体力的に限界に来ていた。
「この芝居が終わったら、私はあとはもう終活よ」
「これから働くのか?どこで?」
「そっちじゃなくて、人生の終わりの就活」
「ああ、そっちか」
「葬式はね、パーッと、私の最後にふさしい派手なものにするわ」
「ステージとダンサーでも用意しますか」
「あ、それいいわね」
俺たちは半年以上かけてみっちりと芝居の稽古をした。
彼女が演じるのは、老いてなお、恋にしがみつく醜い女。相手役の男は、この俺だった。
俺たちは三十年近くずっと一緒に芝居をやってきた。ステージの上ではあうんの呼吸と言ってもいい。
「俺も、これを最後にしようかな」
「何言ってんの。あんたまだ体力あるじゃない」
「いやもう腰も膝も痛ぇんだ。台詞も覚えられねえし」
「そんなの昔からじゃない」
「これが役者人生の集大成だな」
「じゃあ、頑張ってチケット売って、満員にしようね」
「そうだな」
「絶対、いい芝居にしようね」
「ああ」
だが……。
新型ウイルスのせいですべては消えた。初日の幕が開けるその日の朝、全公演の中止が決まった。
ホールの楽屋で彼女が落ち込む姿は、見ていられるものではなかった。これきり芝居をやめるという。
俺も、もう潮時のような気がした。
数週間、家にこもる日が続いた。
彼女を励まそうと電話をしても、よほどショックだったのだろう、彼女は電話に出なかった。
彼女が急死したという報せを受けたのは、緊急事態宣言のさなかだった。
体調不良で入院し、そのまま帰らぬ人になったという。死因は、いくら聞いてもよくわからない。
彼女の葬式は、派手なものどころか、近親者だけの実に簡素なものだった。
最後のステージを奪われた彼女は、最後の最後に残されたステージさえも、奪われてしまったのだった。
「あの…」
火葬を終え、葬儀場を後にしようとしたとき、彼女の娘に声をかけられた。
「これ、母から…」
渡されたのは中止になった芝居の台本だった。
亡くなる前の数日間、彼女は何かにとりつかれたように、必死でこれを書き直していたという。
「いつか、この役をあなたにやって欲しいそうです」
手書きのそれは、主役の老女が、年老いた男に変わっていた。
家に帰って、テレビをつける。
ニュースは今日も新型ウイルスの話題でもちきりだ。自粛、自粛、自粛。
俺はテレビを消して台本を開いた。そして最初の台詞を、声に出して読み上げた。
「『俺は永遠に生きるなんてできない。でも、俺はお前と一緒に…』」
あまりのやりきれなさに、それ以上、言葉が続かない。
放送日:2020年10月6日
出演:荒井和真 佐藤みき 松岡未来
脚本:藤田雅史 演出:石附弘子
制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす