トランプ
Card game
私の夫が亡くなったのは、今年の夏でした。
私たちは大学のクラスメイトで、学生時代から付き合いはじめて、卒業してすぐに結婚をしました。大好きな夫でした。
あんなに健康だったのに。あんなに毎日ふたりで楽しく過ごしていたのに。まさかこんなに早く別れがやってくるなんて。夫の死は不運な交通事故でした。
専業主婦の私は、夫を失ってからの半年、何もせずに生きています。夫がいたときは近所の小料理屋でパートタイムで働いていたこともあったけれど、今では外に一歩出ることすら億劫です。
とにかくマンションの部屋に引きこもる毎日。ずっとお化粧もしていません。ふと魔が差しそうになったことも何度かありました。
遺品の整理をはじめられるようになったのは、ようやく気持ちが落ち着いてきた先月のことでした。
そのトランプは、思いがけず、彼のリュックのポケットから出てきました。こんなのあったっけ。ああ、そうだ。新婚旅行のとき、飛行機で退屈だからと言って空港の売店で夫が買ったのでした。話に夢中で、結局一度も使わなかったトランプです。
その日から、私は時間つぶしにそのトランプでひとり遊びをするようになりました。
「姉ちゃん、仕事で近くまで来たからさ、一緒に飯食べようよ」
ある日、定食屋の弁当をさげて、弟がやって来ました。
「何これ?トランプ?」
「あ、うん、なんか暇だからさ」
「子どもんとき、よく二人でやったよね」
「そういえばやったね」
「久しぶりに俺もやりたくなっちゃったな」
それから弟はよく私の部屋にやってきては、ふたりで延々とトランプをするようになりました。
大学時代の先生が来たときもそうでした。
「いやあ、ちょうど近くまで来たもんだから、これ、仏壇にと思ってさ。俺こないだ本書いたんだよ。どうせ売れないけどさ。一冊置いていくわ。あとうちの実家でとれた柿とりんご……お、トランプか」
私が働いていたお店の女将さんが来たときもそうでした。
「たまたまね、近くに用事があったのよ。これ、お店の余りで悪いけど、果物。あんたちゃんと仏壇にお供えとかしてないでしょう、どうせ。そう思って持ってきたの……なに、あんたトランプなんてしてるの? あたし、ポーカー強いのよ」
それからというもの、みんな何か口実をつくっては、私の部屋にトランプをしにやってくるのです。弟も、先生も、女将さんも、いつのまにか仲良くなっていきました。
「ちょっと誰?ここのハートの8止めてるの」
「僕じゃないっすよ」
「そういうお前が一番怪しい……あ、ほら見ろ」
「やっぱり!意地悪しないでよ、もう」
「僕の作戦ですよ作戦」
「女将さん、二十八連敗」
「あー悔しい! もう一回やりましょもう一回!」
あるとき、先生が言いました。
「せっかく四人いるんだから、今度、麻雀でもしないか。駅前にさ、女の人も入れるキレイな雀荘あるんだよ」
「あ、知ってますよそこ」
「あんたね、あたしがどんだけ麻雀強いか知ってんの?」
私には、みんなの気持ちが痛いほどよく分かります。
こうやって理由をつくって、私がひとりにならないように、淋しくないように、外に出られるように、みんなで支えてくれているのです。この人たちの優しさに助けられて、私はなんとか生きているのです。
「あ、はい!」
「姉ちゃん、迎えに来たよー。先生と女将さん、先に店に入っているってさ」
「ごめん、ちょっと待ってて! 今、髪やってる」
鏡の前で久しぶりにお化粧をして、私は前よりも少し元気になっている自分に気づきます。
夫の写真に向かって「行ってくるね」と胸の中でつぶやいたとき、私はようやく、いつかちゃんと彼にさよならを言える、そんな気がしました。
放送日:2020年11月17日
出演:井上晶子 荒井和真 佐藤みき 相木隆行
脚本:藤田雅史 演出:石附弘子
制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす