ある団子屋の奇跡
The miracle of the rice dumpling shop
去年、妻と別れてから、自分が一気に老け込んだような気がする。働く気力がなくなり、体力もがたりと落ちた。
俺は親から引き継いだ団子屋を四十年近くやっている。
店に並べているのは普通の団子だ。味にはまあ自信がある。でも、これといって特徴がない、ごくごく普通の、ただの団子だ。
客なんて最近はぽつりぽつりとしかやってこないから、作る張り合いもなくなった。気力がなくなったときが潮時だろうな、と思う。
せめて今年いっぱいは営業しようと考えていたのだが、今日、急に気が変わった。
今夜、閉店の時間が来たらシャッターに貼り紙を貼って、それで終わりにしよう。うん、もうそれでいい。
今日は、店の終わりにふさわしい日だ。
「こんにちは」
「ああどうも」
「豆大福、四つください」
「はいよ」
電器屋のせがれだ。小さいときはよくばあさんに手を引かれて店に通っていたもんだ。
「あれ? これ、多くないですか?」
「おまけだよ。ばあさん、元気か」
「亡くなりました。三年前に」
「そうか……」
時は流れる。俺は歳をとり、この店も古くなるわけだ。
店は妻と二人でやってきた。
三十年前、結婚からだいぶ経って、ようやく妻が身ごもった。ずっと子どもが欲しかったから、俺も妻も幸せだった。かわいい名前をたくさん考えた。
「団子屋だから餡子、ってのはどう?」
「やめてよもう」
でも、妻は流産してしまった。夫婦の間で心が通わなくなったのは、そう、あのときからだ。
「あの、醤油団子、ください」
夕方、見知らぬ若い女が店にやってきた。
「ここのお団子、ずっと気になってて」
「ああそりゃどうも。この辺の方?」
「いえ……あ、草餅もひとつ」
なぜだろう、なんだか懐かしい感じがした。誰かに似ているような、前に一度会ったことがあるような。
「いい匂い。美味しそう」
「まあ、あんま期待しないで」
若い女が帰ったとき、もう一度店の扉が開いた。忘れ物だろうか、そう思って顔を上げると、そこに、別れた妻が立っていた。
「なんだよ、久しぶりだな」
「この時期になると、なんだか無性にお店のお団子食べたくなるのよねえ」
「好きなだけ持ってっていいよ」
「相変わらず商売っ気がないのね」
「いいんだよ」
もう店を閉めるから、とは言わずにおいた。うっかり口を開くと、また結果的に、彼女を責めることになってしまいそうだから。
「じゃあ、お醤油団子と草餅と……」
「はいよ」
「あなたのお団子、食べさせてあげたかったなあ」
別れた妻が言った。今日は、あの子の命日なのだ。
「ああ、そうだな」
俺だって、俺の作る団子を食べさせてあげたかった。
これまで、俺も妻も、生まれてこなかった子どものことをずっとずっと思い続けて生きてきた。考えなかったことは一日もない。だからこそ、俺たちは別れるしかなかったのだ。
店を閉めるのに今日がふさわしいと思ったのは、そういうことだ。
「あのな、実は俺、今日で…」
言いながら妻の瞳を見つめたとき、ハッとした。
「ちょっと、どうしたの?」
さっきの若い女の姿はもうどこにもない。
「誰か探してるの?」
「なあ、お前、入ってくるとき、背の高い若い子とすれ違わなかったか?」
「ええ?」
いや、まさかそんなことは……。でも最後の日に、もしかしたら……。
店の前に別れた妻と二人で立ち尽くし、考える。
もしかしたら、俺たちの思いは今日、最後の最後に、通じたのかもしれない。
放送日:2020年12月1日
出演:荒井和真 佐藤みき 井上晶子 相木隆行
脚本:藤田雅史 演出:石附弘子
制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす