ライフ・イズ・パーティ
Life is party
父さんが入院中の病院を抜け出したのは、イブの夜だった。
脱走はかなり手の込んだ計画的犯行だった。売店に買物に行くふりをして、エレベーターを別の階で下り、わざわざトイレで着替えて、出入りの業者になりすまして出て行ったらしい。
病院からは僕のところにすぐ連絡が来た。
父さんの携帯はいくら電話してもつながらない。急いで実家に駆けつけても、いない。このままでは警察沙汰の騒ぎになる。まずい。
父さんはこれまで何度も入退院を繰り返してきた。もう長くないと言われてから、しばらく経つ。家族は父さんと僕のふたりだけだから、家と病院の他に行く場所なんてないはずだった。
「はい、あ、すみません、まだ見つからなくて。それが心当たりのあるところといっても……え?」
父さんは仲のよい看護師に、よく馴染みの居酒屋の話をしていたという。死ぬ前に一度でいいから、店の常連の仲間たちと昔のように飲みまくりたい、と。
「あ、はい、いちおう、行ってみます」
なんていうことだろう。家の近所の居酒屋に、本当に父さんはいた。赤ら顔で、サンタの帽子なんか被って。
「メリークリスマース!よっしゃー! 捕虜収容所からの帰還を祝って、ジョッキでいかしていただきます!」
「父さん何やってんだよっ!酒飲んでんじゃねえよ!」
「いや、これ酒じゃねえよ水だよ水。だって俺ほら、酒飲んじゃいけないことになってるし、な、ほら。先生にも言われてるし」
「こっちのはどう見てもビールだろ」
「あ、それはリンゴジュース。津軽の完熟のすっごく貴重な…」
「なんでビールジョッキなんだよ」
「だってお前、コップじゃ雰囲気出ねえだろ」
「とにかく病院帰るよ」
「あ、最後にこの鶏ささみフライだけ…」
「いいからっ!」
「ああっ、お勘定お勘定」
「迷惑かけて、いったい何やってんだよ。馬鹿じゃないの。無理したら死ぬよ本当に」
病院に連れ帰る車の中で、僕は父さんにこんこんと説教をした。
「病院の人たちもさあ、みんなで父さんのこと考えてくれてんだよ。だからおとなしくしててくれよ」
「…」
「なんとか言えよ」
「…俺のクリスマスはさ、今年が最後かもしれねえんだよ。お前だって、最近はちっとも顔出してくれねえじゃねえか」
父さんは言った。病院で命を長らえてひっそりとひとりで死んでいくよりも、例え少し命が短くなっても、この人生を最後まで楽しみたかったのだと。
「俺にとっちゃ、生きるってのはさ、誰かと一緒に楽しい時間を過ごすことなんだよ」
「…」
胸が痛んだ。僕は、父さんとさよならをする日が来るのを、少しでも先き延ばしにしたかった。だから正直に言うと、病院に顔を出すのが億劫だった。父さんの姿を見なければ、父さんの死について考えずにいられたから。でも、きっと、ちゃんと僕も父さんの人生の終わりに向き合わないといけないのだろう。
「…ごめん」
「なんだよ、急に」
「いや、さびしい思いさせてごめんな」
「…」
「父さん、どこかコンビニでケーキ買おうか。そんで、あとで病室でこっそりふたりで食おうよ」
「いいのか」
「まあ、今日はクリスマスだし特別に」
「あ、じゃあついでに酒も…」
「ダメッ!」
「ですよね、ですよね…」
次に退院したとき、僕はできるだけ父さんをいろんなところに連れて行ってあげたいと思う。会いたい人、行きたい場所、見たいもの。たとえ、そのせいで少しばかり命が縮んだとしても、父が喜んでくれるなら、それでもいいような気がした。
放送日:2020年12月15日
出演:荒井和真 佐藤みき 井上晶子 相木隆行
脚本:藤田雅史 演出:石附弘子
制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす